A2(エー・ツー)[DVD]

MX-128S

5,280円(税480円)

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事件から4年半。信者たちの内側にある矛盾、社会の側に生まれ始めた“受容への萌芽”を炙り出す。

●スタッフ
監督・撮影・編集:森 達也/製作・撮影・編集:安岡卓治/編集助手:小堀陽太

●製作年
2000年

●製作国
日本

●コピーライト
(C)「A」製作委員会

品番 ・価格
MX-128S 4,800円+税

●発売日
2003年07月25日

●収録時間
126分+特典映像(劇場版予告編)

●規格
カラー/音声1.オリジナル音声〈日本語〉/英語字幕/片面2層/特典:劇場版予告編2種(DVD版のみ)、12P冊子(解説文:吉岡忍、森達也)

解説
1998年1月。オウム真理教(現アーレフ)の広報担当者 荒木浩を主体とした、出家信者たちのドキュメンタリー作品『A』が発表された。瞬く間に反響を呼んだこの作品の注目度は日本国内だけに止まらず、各国の映画祭に正式招待される。
監督はフリーランスのディレクター、森達也。彼は『A』を完成させた直後、こう断言する。“オウムについての自分の表現は終了した。しかし1999年9月。『A』撮影終了から2年半の長い断絶を経て、森は再びカメラを手に、退去直前の足立区のオウム施設を訪れた。
『A』がクランクアップした1997年4月以降、日本社会はまるで歯止めが外れたように急激に変質した。残虐で理解不能な犯罪が頻発し、ガイドラインや通信傍受法案、国旗国歌法案に住民基本台帳法案などの数々の法案があっさりと成立。『A』撮影時に一旦は棄却された破防法は、団体規制法(オウム新法)として復活した。高まるばかりのオウムへの憎悪を背景に、地域住民のオウムへの排斥運動は急速に激化する。“3年前には、ここまで日本社会が急速に劣悪化するとは思わなかった。”再びカメラを手にした理由を訊ねられた森は、言葉少なくそう語った。『A2』撮影中、オウム排斥運動に関わる住民と信者との軋轢が一番激しいとされていた地を訪ねると、不思議な共有関係が築かれていた。この体験は、『A2』にとって大きな核となる。マスメディアを通したイメージでしか捉えていなかった信者に、実際に接することで生じた住民たちの戸惑いや煩悶。同時に社会と断絶したはずの信者たちも、住民の情感や不安に触れることで、再び社会と向き合い、事件についての葛藤を迫られる。オウムを通じて日本社会の歪んだ断層を暴いた監督は、前作を遥かに上回る深度で切り込みながら、信者たちの内側にある矛盾、さらには社会の側に生まれ始めた“受容への萌芽”を本作で描き出した。
『A2』完成後の2001年12月、森は著書「『A』マスコミが報道しなかったオウムの素顔」(角川文庫刊)のあとがきで、こう語っている。事件(地下鉄サリン事件)直後、社会はもっと煩悶していたはずだ。“なぜ宗教組織がこんな事件を起こしたのか?”という根本的な命題に、必死に葛藤していた時期があったはずだ。事件から6年が経過した現在、オウムの側では今も葛藤は続いている。でも、もう一つの重要な当事者であるはずの社会の側は、煩悶を停止した。(中略)僕らはオウムの事件からまだ何も獲得できていない。剥きだしになっただけだ。だからこそオウムをこんな形で風化させてはいけない。日本をこんな形で収束させてはいけない。
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
『A2』のキャッチコピーであるこのフレーズに、本作編集中におきた9・11とその後の世界に対しての、森の祈りが込められている。



この国を構成しているのは社会ではなく世間なのだということを『A2』を観て改めて認識しました。面白かったです。
庵野秀明(映画監督)

「果たして、私たちはテロリストと友達になれるのか?」これはアメリカの問題ではない。
いま、この日本において、オウム事件を経験した私が目をそらさずに向き合うべき私の問題だ。
田口ランディ(作家)




2002年度「映画芸術」ベスト・テン第8位
2002年度「キネマ旬報」ベスト・テン第23位
2001年 山形国際ドキュメンタリー映画祭 市民賞&特別賞W受賞
2001年 ダマスカス国際映画祭 正式招待作品
2002年 シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭 正式招待作品
2002年 台湾国際ドキュメンタリー映画祭 正式招待作品
2002年 アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 正式招待作品